|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 世 : [よ, せい] 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation ・ 王 : [おう] 1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi)
グリエルモ2世(Guglielmo II il Buono, 1153年? - 1189年)はシチリア王国ノルマン朝の第3代国王(在位:1166年 - 1189年)。第2代国王グリエルモ1世の息子。ギヨーム2世(フランス語:Guillaume II)、ウィレルムス2世(ラテン語風)とも呼ばれる。 ==概要== 1166年に即位する。治世初期は若年のために母后マルゲリータ・ディ・ナヴァッラが摂政となって政治を取り仕切ったが、政治はうまく機能せずに内紛が絶えず起こり、その治世は不安定なものであったらしい。 だが、この経験がかえって彼を刺激したのか、親政を開始したグリエルモ2世は宗教に対して寛容策をとり、さらには東ローマ帝国にも侵攻して勢力を拡大し、アイユーブ朝のサラディンがエルサレム奪回に侵攻してきたときは、自身の軍勢を十字軍として派遣しているなど、治世の多くに成功を収めている。また、グリエルモ2世は数か国語に通じた教養豊かな名君で、ノルマンや東ローマ帝国の文化を融合したモンレアーレ大聖堂を建設するなど、文化面においても大きな成功を収めた。 しかしグリエルモ2世はイングランド王リチャード1世の妹ジョーンを妻として迎えたにもかかわらず、男児ができずして1189年に病死した。王位継承者は叔母のコスタンツァになっていたが、夫のハインリヒ6世の支配を嫌ったシチリア国民は従兄のタンクレーディを擁立した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グリエルモ2世」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|